由来
三芳庵は、兼六園が一般開放された翌年の明治8年(1875年)に、お隣にある前田家の茶室・夕顔亭を管理するための「本館」と、すぐ前の瓢池の畔に浮かぶ「水亭」、そして今はありませんが瓢池に落ちる翠滝の上に建つ「別荘」の三つの庵を持つことから「三芳庵」と名付けられました。
<写真: 夕顔亭(左)と 三芳庵本館(右)>
三芳庵は創業以来、大正天皇・紀宮様をはじめ多くの皇族の方々や、各界の著名人がおいでになられた由緒ある場所でもあります。また、地元の方はもとより金沢を旅する多くの人々から愛され、親しまれている老舗料亭です。
<写真:水亭>
瓢池周辺
三芳庵の周辺はまるで深山幽谷を思わせるような、老樹が生い茂り夏でも涼しく人里離れて物静かな場所です。瓢池に落ちる滝音だけが聴こえる兼六園六勝の中の『蒼古の境』、『幽邃の世界』が広がっています。
・兼六園六勝(宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望)
・蒼古(そうこ…古びて趣きがある)
・幽邃(ゆうすい…静かで奥深い)
翠滝
瓢池に落ちる翠滝は、和歌山の「那智の滝」を模して造られたと言われております。
「水音やむささび渡る藤の棚」と名句が残っているように、玉簾をかけたような翠滝ですが、滝壺がなくこの水音を出すために二代藩主から十一代藩主に至る間に、その石組を6回も作り直されたそうです。
瓢池
池の中ほどがくびれており、瓢箪の形をしているのでその名が付いたといわれています。 もともと、ここには藩政時代以前より池や沼があり、蓮の花が植えられていたことから「蓮池庭」と呼ばれていて、兼六園の作庭はこの一帯より始められました。
桜が終わると滝の上から楓が繁り枝を垂らし、藤の花や楓のみどりを池畔に映して美しく、まさに幽邃の景が広がります。 また、池畔の楓は十一代藩主の治脩公が遠く竜田・高尾・小倉山など名勝地より取り寄せ、京都の嵐山を模して植えられたものです。秋には美しい紅葉が錦織りなすことから別名「紅葉滝」とも呼ばれております。
三芳庵別荘
高浜虚子が「ほろほろと 落葉こぼるる 閑古鳥」と詠じている三芳庵別荘は、ちょうど翠滝の上に建っておりました。元々、加賀藩十一代藩主・治脩公が、今から約250年前に翠滝を整備した際、工事を見守るため建てた庵が前身と言われています。大正天皇や紀宮様をはじめとする皇族の方々や国内外の各界の著名人の方々が多くお見えになられています。
大正13年には、文豪・芥川龍之介が友人の室生犀星の招きで別荘に滞在し、大変感銘を受けたそうです。
~ 僕犀星先生の世話にて兼六公園の中の三よしと申す御茶屋に居り、豪奢をきわめ居り候・・・(略) 屋を繞(めぐ)って老扶疎(木の枝葉が広がり茂るさま)、樹間に瓢池を臨み、茶室の外には滝のある次第、風流おん察し下され度候 ~ 友人宛の手紙より
そんな由緒ある別荘ですが、老朽化により平成20年(2008年)6月に惜しまれながら長い歴史に幕を下ろしました。
夕顔亭
五代藩主(松雲公)が、滝見の御亭として作られたのがはじめと言われております。亭は小堀遠州好みの茶室で待合の床の袖壁に夕顔の透かし彫りがあることから、今は「夕顔亭」と呼ばれております。